2021.2.22
「ただ使えるだけではない美しさ」日本の伝統を次世代に伝える起業家のお話
『先人の智慧を私たちの暮らしの中で活かし、次世代につなぐ』ことを掲げ、伝統産業の職人さんの技術を活かし、赤ちゃんの頃から大人になっても使えるオリジナル商品ブランド“0歳からの伝統ブランドaeru”から、宿泊施設の一室を地域の伝統や文化を感じられる空間にプロデュースする“aeru room”事業、伝統に触れながら感性を育む“aeru school”事業に至るまで、多岐にわたる事業を展開している「株式会社和える」。
今回は、大学在学中に「和える」を創業し、現在も全国各地の職人さんの元へ足を運び、次世代に伝統を伝える活動を続けている矢島里佳さん(株式会社和える代表取締役)に、お話を伺いました。
自分的職業はジャーナリスト
ー矢島さんが日本の伝統を伝えていきたいと思ったきっかけを教えてください
AO入試で大学に合格したため、高校3年生の半年間にまとまった時間ができました。そこで、テレビチャンピオン2「なでしこ礼儀作法選手権」に出場してみたところ、優勝することができました。中学生の頃から部活動で、茶道や華道に親しんではいましたが、自身の日本文化への興味関心は、同世代と比較して「より強いものなのだ」と優勝をしたことで気がつきました。
大学に入学してからはフリーライターとして日本各地の職人さんのもとへ足を運び、取材を重ねました。
そうするうちに、社会には、伝統的なものに触れる機会や環境がほとんどないことに気づいたのです。私は東京で生まれて千葉の新興住宅地で育ったので、幼少期はなかなか伝統に触れる機会はなかったものの、中学高校の茶華道部で触れ、「なでしこ礼儀作法選手権」への出場から、その魅力に気づくことができました。ですが、周りを少し見回してみるとそれは当たり前のことではありませんでした。日本では、若い世代が日常的に伝統産業品に触れる機会が少なく、日本の文化や伝統産業品について、よく知らないまま大人になっていく。
それなら、幼少期から伝統に触れる機会を自分が生み出すことで、未来に伝統とともに暮らす豊かさを伝えていきたいと考えるようになったのです。
現代まで残っている伝統的なものには、ただ使えるだけではない「美しさ」が必ずあると思います。
心の豊かさを求める今の時代において、伝統産業や文化は、私たちの必要としている心の満たされない部分を埋め、より豊かにしてくれるものなのではないかと感じています。和えるの事業は、「日本の伝統を次世代につなぐ」というジャーナリズムを軸にして活動しています。
社員全員が自立自走すること
ー和えるの事業はどういったものがあるのでしょうか?
今は10の事業部がそれぞれに異なるアウトプットをしています。商品企画からホテルのお部屋のプロデュース事業、企業様のリブランディングから教育プログラムの立案まで。伝え方は様々ですが、「日本の伝統を次世代につなぐ」という点では共通しています。
10の事業を展開していますが、事業部担当制ではないので基本的にはマルチタスク型の人材が多いですね。社員のアイデアから新しい企画が始まることもよくあります。
ーどんなフローで新しい事業は生まれるんですか?
和えるでは、「社員1人ひとりが経営者であり、自分の上司は自分である」という考えの元、自立自走していくことが最も美しい状態としているので、誰がどこで何をしていようと基本的には自由です。
最適解を常に探していく過程の中で、私が社員に仕事を依頼することもあれば、社員から仕事を依頼されることもあります。こういう立場の人だからこれをやる、やらないという決まりはありません。
ただ、「和える」の事業としてクリアすべき3つのルールを定めています。
それは、「日本の伝統が次世代につながること」「三方良し以上であること」「文化と経済が両輪で育まれること」
その3つをクリアしている事業や製品、サービスで、やる意義があれば、必ずしも全ての事業の利益率が高くなくてもよいと思っています。現在10の事業を展開していますが、それぞれ利益率は異なります。
コロナ禍で一つのビジネスモデルだけに頼った経営をしていたら、ものすごくリスクが高かったと思います。ビジネスモデルの分散は、不確実性の高い時代においては非常に強みだと思っています。
最初は直感から
ー矢島さんは今までに何人くらいの職人さんの元を訪れているんですか?
分野を問わず、1000 工房以上はお伺いしていますね。
「伝統産業界に横串をさしていく」というのは、創業時から意識していました。
縦割りの業界なので、一口に『漆』と言っても、青森の津軽塗り、石川の輪島塗り、京漆器や琉球漆器の職人さんが、それぞれ他の産地について必ずしも詳しいかというと、意外とそうではなく。それぞれ全く違う世界なのです。産地内でも、あまり交流がないということも珍しくありません。
ー職人さん同士、文化同士をつなぐことも「和える」の実践なんですね。
はい。こちらの『東京都から 江戸更紗の おでかけ前掛け』は、5つの技術を横断させることで誕生しました。
「手間がかかっているからよい」ですとか「伝統的な技法を用いているからよい」というつもりはありません。ただ、多くの職人さんの手を介することで、初めて生み出すことができる製品があるのです。
21世紀は「精神や魂の時代」と言われるようになり、ビジネス書のコーナーにまで「直感力」という言葉が出てくるようになりました。スピリチュアルな話ではなく、人間誰しも、本来は直感を感じているはず。その直感を形にしていく段階で、論理的にブレイクダウンすることが大切だと思うのです。「和える」の事業には、論理の積み重ねで生まれたものはなく、どれも始まりは「直感」からですね。
働くことは社会と関わりを持つこと
ー矢島さんは「伝統を次世代に伝える」ための選択肢として、就職ではなく起業を選んだのだと思いますが、その決断をするのに葛藤や不安はありませんでしたか?
大学時代の創業前の数年の間に、講演、執筆業などで日々暮らしていけるだけのお金は稼げるという確証を得ることができたので、起業に踏み切れた部分はあります。
起業した当初は、矢島里佳が「和えるくん」を養っているような状態です。
会社を生み出すことは、まさに子育てと同じですね。
私は、仕事一筋の人間というわけではなく、プレイヤーであることへのこだわりもありません。
ただ、社会と関わりの持つための行為の一つが「働く」ことなのです。自分が認められたいとか、自分が上に行きたいという気持ちもなく、創業時から引退のことを考えていたといいますか…
社員一人ひとりのできることがどんどん増えて、私がいなくても会社が回っていくようになることが私の理想であり、最も美しい形だと思っています。
ー著書で、「大人には働く時間が加わることで人生がより豊かになる」という趣旨のことを書かれていたと思います。
学生までの時間は、常に社会から投資されて生きているという感覚でした。
義務教育はもちろん、いろんな企業が無償で子どもたちへの教育的な取り組みをしてくれています。
私は大学では、給付型の奨学金に応募し、採択いただき活用していました。そうすると生活費を稼ぐ時間を、探究活動の時間に使えるわけですね。そのおかげで大学時代に、学ぶ時間を多く捻出することができました。だからこそ、働き始めたら、次の世代に私も何かしらの恩送りをしたいと思ってきたので、今、行動しています。
また、私がそう感じるようになったもう一つのきっかけに、伯父伯母たちの存在は大きいと感じます。
節目節目では必ずお祝いをしてくれたり、よく美術館などへ行こうと誘ってくれたり、両親が与えてくれるものとはまた異なる種類の豊かな世界を与えてくれました。喜び楽しむ私を見て、伯父伯母たちは純粋に喜んでくれた。大人になった今も、伯父伯母と仲良しです。そして、今度は私が姪っ子たちに、伯父伯母から受けた恩送りをしています。
「無償の愛で見返りを求めず、後進を育む」。そんな感覚を持った大人に出逢ってきたことが、「和える」の経営哲学に繋がっていると思います。
ー2021年3月16日に創業10周年を迎えられるとのことですが、変化はありますか?
実は今年度、週1日、幼稚園で2歳児クラスの先生として働いています。
元々、赤ちゃん・子ども向けの商品開発やワークショップ企画・実施等、和えるの事業では「子ども」が大きなキーワードだったこともあり、乳幼児教育の知見を実践の現場で深めたいという思いが高まってきて。
創業時には、やりたいと思ってもできなかった挑戦だと思います。
今私が新たな挑戦をできているのは、社員のみんなが挑戦する文化や時間を作ってくれるからこそ。様々な経験を、どんどん次につなげていきたいと思います。
(文:郷田いろは)