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2021.6.8

研究者を目指していた青年が、唯一無二の職業「テーマパークコンサルタント」にたどり着くまで

ディズニーランドとUSJの2大テーマパークでアトラクションの安全管理やコンテンツ開発、従業員教育を経験したのち独立。現在はテーマパークコンサルタントとして幅広い活躍をされている清水群さんに、唯一無二のキャリアについて伺いました。

清水 群(しみず ぐん)

株式会社スマイルガーディアン 代表取締役
1981年兵庫県出身。中小企業診断士を保有。
遊園地・テーマパークの専門家としてコンサルティングをしながら、遊園地経営シミュレーションボードゲーム「アッパーランド」を使ったチームビルディングやコミュニケーション研修、チームビルディング支援や、講演講師として活動している。

https://www.gunsul.jp/

テーマパークに関することならなんでもやる

ー「テーマパークコンサルタント」という職種は一般的なものなんでしょうか?

僕の造語だと思います。
キャリアの始まりは、東京ディズニーリゾートを運営する株式会社オリエンタルランドのエンジニアなんですが、今はテーマパークに関することならなんでもやっています。店舗の導線設計からアトラクションの安全管理まで、クライアントの課題に合わせて本当に様々ですね。
先日は、「物販店舗にネズミが出る」という相談を受けて、ネズミの生態をリサーチして、業者を手配したり、罠の提案をしたりして…

ー最初のキャリアとして、テーマパーク業界への就職を選んだのはなぜですか?

大学時代は、研究者になろうと考えていたんです。大学院へと進みましたが、ドクターをとって研究職に就こうと考えている周囲と自分の間に、どうしようもない熱量の差を感じてしまって。アカデミックな場で淡々と研究を突き詰めていくビジョンが見えなくなったんです。
工業高校でデザイン科の教師をしていた父の影響でアートへの興味があったこと、当時研究対象だった「水の流れ」に対してある種の有機的な美を感じていたことなどから、「水を使ったエンジニアリングが活かせるところ」に就職しようかなと、進路の舵を切りました。

かつ、エンジニアとして物づくりをするなら、量産品じゃなくて世界に一個しかないものを作りたいなという思いもあって。
ディズニーランドのエンジニアになれば、水を使った演出もできそうだし世界で一つだけのものが作れるんじゃないか。そう思ったのが、テーマパークに目を向けた最初のきっかけです。だから、テーマパークが特別好きで業界を選んだわけじゃないんです。

ーディズニーのエンジニア職の方が、どんなお仕事をしているのか想像つきません。現場に立つこともあるんですか?

入社して3ヶ月は、新卒研修としてキャストを経験しましたアトラクションに乗る時の説明や誘導をする人ですね。研修が終わるとお客様への接客をすることはないので、この時期に現場のリアルな視点を養うんです。
「どんなボタンの配置なら操作する人は分かりやすいのか」「どのタイミングでゴンドラが動けば、お客さんはスムーズに乗れるのか」裏側に入って設計をしていると見えなくなってしまいがちなところなので、とても重要な経験でした。

ーそこからはエンジニアリングの仕事を中心に?

そうですね。1年目の残りの期間は、ひたすらアトラクションのメンテナンス作業をしていました。
調子の悪いパーツを交換したり直したりするのはもちろん、アトラクションのパーツをネジ一本までバラバラに分解して問題ないか確認したら、また元に戻すとか…。
アトラクションによっては、水に潜ったり重機を扱ったりするので、潜水士やフォークリフトの資格なんかも取りました。
メンテナンスの担当者は、その日のトラブルが解決するまで帰れず、日によっては夜中の2時3時まで仕事をすることもあったので、パークの近くに住んでる人ばかりで。僕も自転車で通える距離に住んでいました。

新卒2年目からは色々なアトラクションの部品設計を担当しました。
先輩について物づくりの色々な工程を経験をさせてもらったんですが、2年目でオリエンタルランドは辞めちゃったんです。

自由な環境でやりたいことを追求したかった

ディズニーランドでアトラクションの安全装置の設計をしていた頃、大阪にあった「エキスポランド」という遊園地でジェットコースターの事故があったんです。それをニュースで見たときに、「僕が失敗したら誰かが死ぬんだな」って実感が強烈に湧いてきて、そこから設計の仕事がすごく怖くて。
不安だからこそ「もっとこうしたら良くなるんじゃないか」と思いつく提案は色々してみたんですが、ディズニーの安全性は元々かなり高いですし、ぼくのプレゼン力不足などもあって、なかなか提案が通らなくて。

少しモヤモヤした気持ちを抱えている頃、大阪にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)へ遊びに行ったら働いてる人たちがすごく楽しそうで、出身が関西なこともありホームに帰ってきた感もありました。
隣の芝生が青く見えたといったらそれまでなんですが、「ここで働いた方が自分のやりたいことをもっと実現できるんじゃないか」と思って転職を決めたんです。

ー実際に転職してみてどうでしたか?

USJには8年いて、最終的に管理職にまでなったんですが、たくさんの思い出があります。
特に上司にはずっと恵まれていましたね。

まだ入社が確定していない時期に、技術部の部長と面談があって。
そこで、将来的にやってみたいことを聞かれて「ものを飛ばしてそれを光らせたい」と話をしたんです。今でいうドローン技術なんですが、当時は実用化されていなくて。でも、大学で水や空気の流れを研究していたこともあり、色んな技術をうまく応用すれば、ティンカーベルが本当に飛んでるように見えたり夜のショーの演出に使えたりするだろうということは、なんとなくわかっていました。
「やりなよ!」と前向きな言葉をかけてもらい無事入社したんですが、実現されないままに、僕は部署を異動になりました。

でもある日、突然部長に声をかけられて「群ちゃん、ついにあれやるぞ」と。「あれってなんですか」と聞いたら「入社前にドローン飛ばして光らせてって話してたやろ」と言うんです。クリスマスのショーでやるぞと。
僕が作ったわけじゃないけど、「入社するかしないか決まってないような人間が5.6年前に話したことをずっと覚えてくれていた」という事実が嬉しくて。その時のことは、本当に印象深いです。

「自分だけの武器を作りたい」希望して異動したコンサル部署

USJは、年次に関係なく意見を言える環境ではありましたが、やっぱり自分のアイデアを実現させようと思うと、実績を積んである程度上のポジションまでいく必要がありました。
僕はエンジニア職として採用されましたが、他の中途の人材は、メーカー出身で設計一筋にやってきた人がほとんど。現場に立って接客をしたり水の中に潜って機械の点検をしたり、フォークリフトで重いものを動かしたりと、僕のように色んな寄り道をしてきた人は当然いないわけです。
そんな環境で、純粋に設計力だけで勝負しても絶対に勝てないし、いつまでたっても上に上がれない。だからこそ、何か自分の武器になるような知識を身につけたいなと思っていました。

その時期、妻が社会保険労務士の勉強をしていたんです。それで、なんとなく資格予備校のパンフレットをパラパラめくっていたら「中小企業診断士」の文字が目に飛び込んできて。
経営的な目線を設計に組み込めたら、自分だけの強みになるんじゃないかと思って資格の勉強を始めました。
しばらくして、「この人みたいになりたい」と思って尊敬していた先輩エンジニアがやめて、それとほぼ同時期に社内のあらゆる業務をコンサルするための部署が新設されたんです。エンジニアとしてのロールモデルを失ったこともあって、より実務ベースで経営のことを学んでいこうと決めて、その部署へ異動希望を出しました。

ーそれが今のキャリアに繋がっているんですね

その時の決断がなかったら、今の仕事はやってないと思います。
物販商品の売れ筋分析から、導線設計、客席やお手洗いの数の最適化、入場者の傾向分析など、なんでもやっていましたね。

ーコンサルの部署で印象に残っていることはありますか?

テーマパークってとにかくいろんな職種の人がいるんです。飲食、物販、植木屋、インフラ屋…。それぞれに違う色があって。
僕らコンサルは数字で喋りがちだし、いってしまえば机上の論理を話しているので、現場の人に提案をすんなり受け入れてもらえるわけではありません。だからこそ一緒に物販の現場に立ってみるとか、小さなコミュニケーションを積み重ねて、信頼を築いて仕事するのが楽しかったです。
今でも、コンサル先ではユニフォームを借りて接客していますね。

日本中のテーマパークをコンサルする

部署を異動して数年後、管理職にまでなったんですが現場を離れると一気に仕事が面白くなくなってしまいました。
もう一度プレイヤーとしてパークに関わりたくて、ぼんやりと独立を考えるようになりました。元々は、社内でのポジションを手に入れたいと思って経営の勉強を始めて部署異動までしたわけなのに、欲張りですよね笑

そんな時期に、とある遊園地の社長さんが「パークの安全管理について知りたい」ということで、USJへ視察に来たんです。
この訪問は僕が対応したわけではなくて、部長のスケジュール表を眺めていたらたまたま見つけただけなんですが、「テーマパークのコンサルティングってニーズがあるのかも」と直感的に思って。
すぐに、これまでの経歴と独立も視野に入れて考えている旨を手紙に書いて、その社長に送りました。そうしたらメールで返信が来て、一回話したいと。そこから3ヶ月くらいかけてお互いの考えをすり合わせて、お仕事をいただけることになったんです。

ーすごい行動力…。
そこからテーマパークコンサルタントとしてのキャリアが始まったんですね

そうですね。
さかのぼると、最初に他のテーマパークや遊園地に目を向けたのは技術部にいた頃なんです。
ちょうど建築基準法の改正があったタイミングで、国土交通省のプロジェクトとして色々なパークの安全管理に関する調査をすることになって。僕もそのプロジェクトメンバーとして日本各地のテーマパークを色々と回ったんですが、やっぱりUSJやディズニーに比較すると安全性はまだまだなところばかりで。
ジェットコースターが走るレールに地面から手が届いてぶら下がれるようになっていたりだとか、明らかに安全管理が行き届いていないと感じるパークもありましたね。ただ、そういった日本各地のテーマパークや遊園地を僕が直接どうにかできるわけではないので、その時は少しもどかしく感じているくらいだけでした。
だからこそ、部長のスケジュールに視察の予定を見つけた時は、「タイミングがきたぞ!」と感じて、気づいたら行動していましたね。

お客さんの中にノウハウが根付いて欲しい

テーマパークのコンサルティングって少し特殊で。
エンジニアリング、物販、飲食、ブランディング…と、たくさんの専門家を集める必要があって人件費がかさむ割に、日本全国にあるテーマパークの数ってせいぜい100くらいなので、事業としてあまりスケールしないんです。
なので、今は社員を雇わず、必要に応じて専門家の方にスポットで入ってもらう以外は基本的に僕一人で対応しています。
時々「採用していますか?」と連絡をいただくこともあるんですが、僕自身テーマパークコンサルタントを育てていこうという気持ちもあまりなくて。一番の理想は、お客さんの中でノウハウが根付いていって、3年くらい経った時に「もう自分たちだけでやっていけます」ってなることだと思うんですよね。

ーテーマパーク業界で働くことの楽しさってなんだと思いますか?

この間、大学生の方に「今までの仕事の中で、もうやりたくないと思うものはありますか?」と聞かれて。考えたけど、出てこなかったんです。もちろん、アトラクションがオープンする前の3日間、連続で徹夜して体力的にしんどかったとか、顧問先の数字があがらなくてヒヤヒヤするとかそういったことはあったけど、振り返ってみると全部楽しくて。

なぜだろうって考えてみると、エンドユーザーがすぐそこにいるんです。ジェットコースターに乗って楽しんでいる声を聞いて、ショーを心待ちにする表情を見ることができる。考え事をするときにパークをぐるっと一周して、お客さんの楽しんでいる姿を見ると、この仕事をやっていて良かったなあと思います。

もう一つ、この仕事ならではの良さだなあと思うことがあって。
ちょうど小学生に上がったばかりの娘がいるんですが、テーマパークがすごく好きなんですね。彼女は、僕が仕事でテーマパークに通っていることを知っているので「楽しい場所に毎日仕事で行くってことは、仕事ってすごく楽しいものに違いない」そんな風に思っているんです。
自分が働いている姿が、娘の目にポジティブなものとして映っているのは本当に嬉しいことですね。

形あるものを作りたい欲求

ーこれから挑戦してみたいことはありますか?

大きな目標としては、テーマパークを作りたいです。自分が社長になるとかオーナーになるとかそういう意味じゃなくて、物づくり出身というのもあって、やっぱり新しいものを作るのが好きなんです。
でも、いきなりリアルなテーマパークを作ることは難しいので、最近は「テーマパークを作る」ボードゲームを開発しました。

【清水さんが開発したボードゲーム「アッパーランド」】

このボードゲームは、社員研修での使用を前提として作ったんです。ゲームの参加者は、赤字続きの架空の遊園地「アッパーランド」を運営する各部門の責任者として、部門間で協力し合いながら遊園地の再建を目指します。

普段のコンサル業は無形サービスなので、「何か手に取れるものを作りたい」という思いと、ボードゲームで楽しく学びながらスキルを上げていける場が作りたいという思いが、直接の制作のきっかけですね。

好きな仕事を続けられる社会

USJにいたとき「仕事のことは好きだけど、生活のことを考えると続けられない」と言ってやめた人たちが周りにたくさんいました。定期昇給がある職場ではなかったので、家族が増える中で生活のことを考えるとやめざるを得ないと。どうしようもないことだけど、少し切ないなあと思ったんです。
せっかく好きな仕事があるんだったらそれを続けられる社会であって欲しいなって。
今、僕の事業は9割がテーマパークのコンサル業ですが、研修や講演等、人の成長を促す事業にも少しずつ取り組んでいます。好きだと思える仕事を誰もが続けることのできる、そんな明るい社会の一端を、少しでも担えたらいいなと思っています。

(取材・文:郷田いろは)

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